「始まりがあれば終わりがある」 そんなことはこの歳になれば充分にわかっているつもりだ。
十三のバー「スタイニー」が四十数年にわたるその歴史を閉じた。
「スタイニー」は阪急十三の駅から狭い路地を抜け、5分程歩いた古い住宅街の入り口にある。
暗い道に何軒か同じようなひなびた店が並んでいる。
おそらく、誰かに紹介されなくては大の男でも少し恐くて入れないだろう。
あまりに古びた佇まいが警戒心を起こさせてしまう。
木のドアを開けると、外観から想像させるそのままのイメージが店内にも広がっている。
なんと言えばいいのだろうか、昭和30年代で時間が止まってしまっているのだ。
コの字型の20人程座れるカウンターの中で蝶ネクタイの愛想の良いマスターが笑っている。
照明に照らされたボトル、壁紙、椅子、カウンター、すべてが石原裕次郎の出ていた無国籍映画のセットのようだ。
通いはじめて30年が経つ。ここには学校の先輩や後輩、同級生などがよく集まった。
笑い、議論し、怒り、泣いた。最近でも、少し酒が入ると自然に足が「スタイニー」へと向かった。
体にしみついてしまったリズムのようだ。
しかし、それも終わった。
10数年前、マスターの奥さんが鉄道事故で死んだ。
「わしのせいで、死んだんじゃ。あれは事故やない」というマスターに
「あんたのために死ななあかんほど、あんたは大した人間ちゃうよ」
「おお、そうじゃなぁ。しかし、あんたもひどい事いうなぁ」
と泣き笑いしていたマスターの顔が思い浮かぶ。
そして、これからマスターが歩いて行くであろう、けして楽ではない人生を考えると心が塞がれる思いがする。
・・・少し酒の入った私の体は、また、スタイニーへと向かおうとするのだろうか。
そこには灯りの消えた店があるだけなのに。
「スタイニー」最後の夜の次の日、二日酔い気味の体をなんとか起こし、台所に立つ。
手には昨日もらったマスターの愛用していたフライパンが握られている。
なんでもらってきたのかははっきり覚えていない。
使い込んで黒光りしたフライパンに厚めに切ったベーコンをいれ、卵を落とす。
いろんな思いが心をよぎり、目頭が熱くなる。
玉子の黄身の黄色い輪郭がしだいにぼやけていく。
はい。人生に少し疲れた男の作ったソルティ・ベーコンエッグの出来上がりだ。